ジャータカ物語の「月のうさぎ」をご存じでしょうか。お腹を空かせたおじいさんのために火の中に飛びこみ、自らを捧げたうさぎの話です。その尊い行いを後世に残すために月に描かれたという伝説から、この話は「月のうさぎ」と呼ばれました。
手塚治虫先生の『ブッダ』の冒頭と聞けば、ご存じの方も多いかもしれません。私が『ブッダ』を初めて読み、「月のうさぎ」を知ったのは小学生の時でした。火の中に飛びこむうさぎの姿に大きな衝撃を受けました。
知らない人のために命を捧げるなんて常人には理解しがたい話ですが、なぜうさぎは自分の命を捧げたのでしょうか。その心は、見返りを求めず、他者に惜しみなく施す「布施」という仏道の実践にあります。
そんな仏道の実践なんて自分には不可能だ!うさぎみたいなことは自分にはできない!
そう思うのも当然のことだと思います。でも安心してください。布施にはさまざまな種類があり、日常生活の中で、誰でも気軽に実践できる布施もあります。しかも仏道の実践をしながら、人間関係まで良くなるというおまけ付きです。
私は浄土真宗の僧侶(お坊さん)です。仏教の教えをわかりやすくお伝えすることに、毎日精進しています。そんな日々の経験を活かしながら、この記事では「月のうさぎ」に秘められた布施の心を解説します。
うさぎの尊い精神を日常生活の中でどういただいていくのか。これからの生き方のヒントとなるはずです。ぜひ最後までお読みください。
ジャータカ物語「月のうさぎ」のあらすじ
ジャータカ物語とは、紀元前に編集された、500以上の話からなる古代インドの仏教説話集です。お釈迦さまが過去世において、さまざまな功徳を積まれた話が中心になっています。その中から、月にはうさぎがいるという伝承の由来となったとされる「月のうさぎ」という話を紹介します。
なお、ジャータカ物語は古典であり、紹介されている文献によって細かな違いが見られます。そこで、大筋が崩れないよう私なりに編集した物語を以下にまとめました。
むかしむかし、インドのある森で、うさぎ、さる、きつね、かわうその4匹が仲良く暮らしていました。彼らはとても優しく賢い動物たちで、いつもお互いに助け合っていました。ある日のことです。森の中で、お腹を空かせてフラフラになったおじいさんと動物たちは出会います。
「お腹が空いて動けない、どうか食べ物を恵んでおくれ……」と倒れ込むおじいさんを見て、動物たちは「大変だ!何か食べるものを探してこよう」と、それぞれ食べ物を探しにいきました。動物たちは、おじいさんのためにそれぞれの特技を活かして食べ物を集めます。
木登りが得意なさるは、森でマンゴーなどの果物を集めてきました。
賢くて嗅覚の鋭いきつねは、人間が隠した串肉を取ってきました。
泳ぎの得意なかわうそは、川で魚を捕まえてきました。
でも、草しか食べないうさぎは、どれだけ探し回っても人に施せるような食べ物を見つけることができませんでした。何も持ち帰れなかったうさぎは、さるに「お願いだから火をおこしてほしい」と頼みます。 パチパチと薪が燃え上がると、うさぎは老人の前に進み出て言いました。
「私は不器用で、何も食べ物を見つけられませんでした。だから、私の体を焼いて食べてください!」
うさぎは身震いをして毛の中の虫を逃がすと、燃え盛る火の中へと飛び込みました。
おじいさんはすぐにうさぎを火の中から助け出し、涙を流しました。実は、このおじいさんは天界から動物たちの優しさを試しにやってきた神様(帝釈天 / たいしゃくてん)だったのです。
「うさぎよ、お前のどこまでも優しい心を、世界中の誰もがいつでも見られるようにしてあげよう」
神様は丸い月の表面にうさぎの姿をくっきりと描きました。それ以来、世界中の人々が月を見上げるたびに、うさぎの優しい心を思い出すようになったといわれています。
「月のうさぎ」から学ぶ布施の心
火の中へ飛び込み、自らを捧げたうさぎの行動は、仏道修行である「布施(ふせ)」の実践です。布施と聞くと、日本人の多くの方は、お坊さんへ渡すお金のことだと思うのではないでしょうか。いわゆる「お布施」です。もちろん財を施すことも含まれますが、ほんの一部分、狭義の布施です。
それでは本来はどういう意味なのか。布施とは、六波羅蜜(ろっぱらみつ)に含まれる修行のひとつで、見返りを求めず、他者に惜しみなく施すことを言います。六波羅蜜とは、大乗仏教の悟りを求めるための、代表的な6つの実践徳目のことです。
六波羅蜜
- 布施(ふせ):恵み施すこと
- 持戒(じかい):戒律を守ること
- 忍辱(にんにく):耐え忍ぶこと
- 精進(しょうじん):仏道に励むこと
- 禅定(ぜんじょう):心を静かに落ち着かせること
- 智慧(ちえ):真理を見極め悟りを完成させること
布施には大きく分けて、金品を施す「財施(ざいせ)」、仏教の教えを施す「法施(ほうせ)」、不安を取り除く「無畏施(むいせ)」の3つがあります。
財施とは、物質的に役立つ金品を施すこと。僧侶に対しての「お布施」はもちろんですし、被災地や発展途上国への寄付も財施に含まれると仏教では考えます。お布施のことを「喜捨(きしゃ)」とも言いますが、執着せずに喜んで手放せる心で行うことが、真の意味での財施と言えるのでしょう。
法施とは、仏様の教えを伝え広めること。お釈迦さまの説法であるお経を読誦したり、仏法を説いて聞かせることなどです。僧侶は葬儀や法事の場でお礼のようなかたちでお布施をいただきますが、お経を読誦し、仏の教えについて話すお坊さん自身も布施をしていると言えます。
無畏施とは、畏れ(おそれ)の無い状態にして、安心を与えること。悩んでいる人の話を聞いて、心を軽くしてあげたり、緊張している人がリラックスできるよう配慮してあげたりする行為が無畏施にあたります。後で紹介する「無財の七施」も無畏施に含まれます。
布施の心とギブアンドテイクの心
普段の生活において、私たちは人に何かを差し上げる機会は多々あります。ただし、誰かに何かを差し上げていても、仏教的な意味での布施にはなかなかなりません。ポイントは「見返りを求めない」ことです。
我が家の家族構成は、夫婦と8歳の長女、3歳の次女の4人家族です。ある日の夕飯で、手巻き寿司をしました。私が自分のお寿司を作っていたら、長女が「パパどうぞ」と私にお寿司をくれました。てっきり自分のお寿司を作っていると思っていたら、なんと私の分を作ってくれていたのです。
私は感激して「お姉ちゃんありがとう」とお礼を言ってお寿司をほおばりました。その様子を見ていた3歳の次女も、私にお寿司を作ってくれて「パパどうぞ」をしてくれました。その後、長女はママと妹にもお寿司を作ってあげていました。
「なんて幸せな夕飯なんだろう」と思いながら食事をしていたのですが、突然長女が不機嫌そうに、「うちはみんなにお寿司を作ってあげたのに、誰もうちにくれない!」と不満を口にしました。私は「しまった!」と思い、すぐに長女用のお寿司を作り、謝りながら渡しました。
長女は、「まったくもう!」といった様子でしたが、みんなが「ごめんね」と言いつつ、お寿司をあげたため機嫌が収まりました。そんな長女に対して、次女はお返しをもらえなくても気にしていませんでした。ただ、自分が作ったお寿司を食べてもらえたことが嬉しかったのです。
長女は自分があげたらお返しをもらえるものと思っていた。ギブアンドテイクの心です。それに対して次女はギブアンドテイクではなく、ただ純粋に「自分の作ったお寿司をパパに食べてほしい!」と思っただけだった。
おそらく、普段おままごとでしているようなことを実際にできて嬉しかったのだと思います。見返りを求めない純粋なる布施の心だと言えます。
ちなみに私たち大人はもちろん長女同様ギブアンドテイクの心です。成長して「自我」が芽生えると、残念ながら無意識のうちに見返りを求める根性が染み付いてしまうのですね。
例えば、ご近所さんに旅行のお土産をいただいたら、当然自分が行った際には忘れずにお土産を買ってきます。お返しです。反対に、自分が買ってきたのに相手が買ってきてくれなかったらカチンときますよね。
このように私たちは、施したことを覚えています。そして相手にも覚えていてほしいと思ってしまう。身近な人間関係で行き違いが生まれるのも、この「これだけしてあげたのに」という見返りを求める心が原因であることが少なくありません。
仏教では、このような執着を離れた究極の施しを「三輪清浄(さんりんしょうじょう)の布施」と言います。三輪清浄の布施は以下の3つの条件を満たした施しのことです。
- 施した自分を誇らない
- 施しをした相手に感謝を期待しない
- 施したものを惜しまない
いかがでしょう。ギブアンドテイクの感覚が染み付いている私たちにはなかなか厳しい条件かと思います。
誇ることも、感謝を期待することもせず、自らの身体を惜しまずに火中に飛び込んだうさぎの施しは、まさに三輪清浄の布施を体現しています。決してまねができないという思いが、「月のうさぎ」が長い歴史を超えて私たちの心を揺さぶり続ける理由なのでしょう。
ジャータカ物語のうさぎの精神を日常へ:無財の七施
「月のうさぎ」の話を読むと、自分にはとてもできない縁遠い話だなと正直思うことでしょう。たしかに三輪清浄の境地にはなかなか至れませんが、誰にでも実践できる無財の七施という布施もあります。
無財の七施
- 眼施(げんせ):やさしいまなざしで人に接すること
- 和顔悦色施(わげんえっしょくせ):穏やかな笑顔で人に接すること
- 言辞施(ごんじせ):周囲の人に思いやりのある言葉をかけること
- 身施(しんせ):自分の身体を使って施しをすること
- 心施(しんせ):周囲の人の喜びも苦しみも自分のことのように感じとること
- 床座施(しょうざせ):場所や席を譲り合う親切な心のこと
- 房舎施(ぼうしゃせ):自分の家を必要に応じて提供すること
どうでしょう。どれも難しいことではありません。うさぎのように燃え盛る火に飛び込む必要も、多額の財産を用意する必要もないのです。
しかしながら施してもらった人は、温かい気持ちになったり、助かったりします。大切なことは、うさぎの精神をいただきながら、日常のちょっとしたことを変えていくことです。
- 周囲の人を思いやるやさしい言葉を心がける(言辞施)
- 仲間が嬉しい時は自分も喜び、仲間が苦しい時は一緒に悩んであげる(心施)
- 身体の不自由な人がいたら席を譲ってあげる(床座施)
こうしたことだけで、あなたは十分に誰かを救う「布施」を実践しています。うさぎのような究極の布施は難しいですが、誰にでもできる無財の七施を意識して生活してみてはいかがでしょうか。

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